続・私が落ちた鬱の世界について語ります

私は1回目の鬱を抜け、会社でも通常の仕事を任されるようになりました
それは、とある診断機の開発プロジェクトのリーダーでした
その引き継ぎはとんでもないものでした
前任者は「資料を読めば分かる」といい、その翌日にはいなくなりました
たった一人の部下は「あんな技術使い物にならない」と言いお話にならない
そんな中、部署を異動してリーダーを引き継いだ3日後が
そのプロジェクトを進めるか凍結するかの本部長(本社取締役)報告でした
それでも私は報告を乗り切り、プロジェクトの継続を認めてもらいました
やったことの無い分野でしたので一から猛勉強してキャッチアップしました
結果、本部長から「大したもんだ」
部長から「福田さんに来てもらって良かった」
共同開発のメーカーさんから「福田さんともっとやりたい」
と言われるようになりました
自分でも鬱を乗り越えたと”思い込んで”いました
でも、そんな甘いものじゃありませんでした
きっかけは「あんな技術使い物にならない」と言っていた部下でした
まぁ、使い物にならないなんてレベルでは無くて、
思い切り足を引っ張るタイプでした
ストレスをまき散らしてくれました
私の中で知らず知らずのうちに初回の鬱で身についていた
「ネガティブな発想をする」癖が顔をもたげていました
今振り返ると、「ネガティブなことが起こる」「あいつがまたやらかす」
と言った思考をする回数や時間が段々と増えていました
段々とということが肝で、「自分では気がつかない」でいました
私の心の中でストレスが占める割合がどんどん膨らんでいました
普通の思考や記憶したりするスペースが端に押しやられて行きました
段々と発想や決断が難しくなっていき、それがまたストレスを増やしました
同時にネガティブ思考の癖がどんどん強化されていたようです
このときそうなっているとは自分では気がついていませんでした
この気がつかない、自分を客観的に観察できていないと言うのが
今、プロコーチになって大きかったと思います
それがどうなったかは次回で語ります
ただ、その部下の存在はマイナスでしか無いという判断だけはできました
3年間我慢して、指示/指導しましたが彼は何も変わりませんでした
その当時は、人は変えられると考えていたので、自分を責めました
(今思えば残念な信念です)
でもこれ以上は悪影響を見逃せないと判断した私は彼を外す決断をしました
上司と相談し、彼を移動させることを決め新しい仲間を迎えました
プロジェクトの方もなんとか頑張って製品化に向けた道が見えました
そういうふとした気の緩みがあったんでしょうね
ある日の朝、起きられなくなりました
前回のように不安とかで押さえつけられるのではありません
頭が動かない、体を動かす気力が出ない、力が入らないという状況でした
いきなり頭や全身のブレーカーが落ちたような感じです
それはもうパニクりました
やっとの事で動き出してメンタルクリニックに行けたのが一週間後でした
このときに身についてしまったネガティブ思考の癖がそれから10年近く
自分を鬱の沼にとどめるとは思ってもいませんでした
次回はやっと抜け出すところを語ろうと思います

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